こだわり

「KTはつおん」の理念について、「じっくり」「ゆっくり」「ていねいに」だけでは表しきれなかったことを、「こだわり」という形でまとめました。

日本を大切に

KTはつおんは、日本を大切にします。本来、日本人が英語を学ぶのは「日本の国益のため」であるはず。したがって、「日本のために頑張る 日本人のための 日本人による教育」を理想とするのが自然でしょう。しかし現実はそうなっていません。このままでは日本を弱くするための英語教育になってしまいかねません。

よく、「日本の英語教育は間違っている」という意見を耳にします。たしかにそう言える面はあるのですが、そもそも、日本の教育が今のようになったのは、どのような流れからでしょうか? 状況を作った流れと、その解決策を提唱する流れが、同じ方向のような気がしてなりません。

日本の教育、特に日本の戦後教育には問題があるとは思いますが、そもそも、古来日本人の知恵の伝承の仕方は、そう悪くなかったはず。悪くなかったから続いてきたのです。ある状況に陥ったとき、「日本人なら、つい行ってしまう解決策」・・・世界から見たら奇異に映るかもしれない日本人の習性・癖が、日本人には合っているのではないでしょうか。しかし、そのような「日本人的な直感」によるやり方は、タブー視され、もみ消されてしまう傾向があるように思います。上手くいかなかったのは、やり方の問題ではなく、流れてくる情報が間違ってがだけかも知れないのに、です。

KTはつおんは、英語発音にかかわらず、今、失いかけている日本の良さを取り戻したいと考えています。講座の内容だけではなく、運営の節々に、この思想を取り入れていきたいと考えています。

光が当たらなかった人に光を

英語は、エリートだけのものではありません。頭の良い人だけのものでもありません。発音は、「すでに英語ができる人」だけのためのものではありません。英語も発音も、その気になれば、誰もが、少しずつでも勉強して、やがてはできるようになる、そういったものであるはず。

ところが、「何か見えないもの」で線引きされているような印象を持ったことがないでしょうか? 敢えてセリフにすると「あなたが英語? フン、どうせ無理よ」みたいな雰囲気。英語を学ぼうと思っても、何か「いやらしい雰囲気」がついて回っているような印象があります。

浮かばれない人生から抜け出す活路を見出そうと、英語に挑戦する人は多いでしょう。そういう人ほど支援されるべきところ、逆に恐怖や落胆を味合わされ、打ちひしがれてしまう。そんな無情が、この社会にはあるような感じがします。

また、仕事の多忙、家庭の事情、健康上の制約などで、予定を立てにくい人にとって、習い事を始めるのはハードルが相当高いと思われます。そこで「独学」となる訳ですが、独学での発音習得はかなり難しい。

KTはつおんは、不遇から抜け出そうと頑張る人を応援します。1人1人に合わせた進め方をし、限度こそあれ、スケジュールに関して融通を利かせる運営をしていく所存です。

気づきと真実の追求

世の中、「表面上のことだけ」を見て、「世間で言われていること」を鵜呑みにし、それらを「当たり前」だと思ってしまう傾向があるように思えます。

混沌とした世の中、これではどこかへ流されていってしまいます。

常に探究心を持って、ちょっとした違和感や変化を感じ取ることが大切です。そして、「何か変だな」と気になることがあったら、「どうしてそうなっているのか」と、裏にある何か(見えていない真実)を探ろうとすることが大切です。

矛盾する「情報」があって、どちらが正しいかわからなくなった時、その答えをまた「情報」に求めていませんか?

確かにそういうことも必要ですが、このやり方では「数の多い情報」に流されてしまう恐れがあります。

まずは、自分自身で「何か変」と感じ取る感性を磨くこと。そして、「果たして、これは一体どういうことか?」と自分自身で解釈してみることが大切です。

発音の世界でも、「普通に考えて、それはちょっと変じゃない?」という「少し飛躍した知識」が当たり前になっていて、多くの人が「信じ込んでしまっている」という面があります。「それを信じないと批判されてしまう」という変な空気さえあるようです。

KTはつおんは、常識を鵜呑みにはしません。「あれ?」と感じたことを掘り下げて、自分で試してみる。その繰り返しにより、真実を追求し続けます。

自分で考える

英語発音の習得には、多大な時間がかかります。一般に思われているよりも、はるかに長い年月を必要とします。個人差が大きく、どういう練習をすべきか1人1人違いますし、練習ペースもそれぞれです。

そもそも、最終的なゴール(完成)というものは存在しないので、「何を目指し」、「どこを区切りとするか」を、個人別に考えなければなりません。

さらに、無理な練習をすれば、身体を傷めてしまいます。KTはつおんでは、口をしっかり開けた明瞭な発音を目指します。発音器官の筋肉は自由に動かせませんから、周囲の別の筋肉を代償的に使うところから始めるので、どうしても負担が大きくなってしまいます。

よって、何をどれぐらい練習するのか、起きた変化やトラブルにどう対処するのか、ということを逐次判断していかなければなりません。講師は助言こそできますが、決めるのは本人なのです。

別の観点からも、「自分で考える」必要性があります。

世の中、情報が多く、英語発音に関しては怪しい情報が多いのが実情です。また、頼んでもいないのに口を挟んでくる人もいるでしょう。そのような情報に振り回されないよう、自分で考えて信念を貫くことが必要です。

KTはつおんでは、「言われるがままやる」のではなく、「自分で練習メニューを決めて実践できる」ような自律性を育んでいきます。

正しいやり方で、身の丈にあった成果を

何事においても基本は大事です。しかし昨今では、結果を急ぐあまり、基礎もやらずに実践で「何とか形にしよう」ということが普通になってしまっています。あとから基礎をやっても、「自己流で作ってしまった型」が「正しい型」に置き換わることはないものです。

ただ、基礎からの積み上げには、とてつもない年月がかかってしまいます。いつまでも基礎ばかりやっているのは現実的ではありませんし、多少の実践をやってみて、基礎に戻った方が良い場合も多々あります。

そこで、KTはつおんでは、「大きく見て正しいと言える範囲のやり方」で、「実力から乖離しない程度の実践」をするぐらいを推奨しています。明らかに実力を超えた英文や発音に取り組むなどといった無理な「背伸び」をすることは推奨しません。

時代遅れで構わない

技術が進んだり、新しい考え方を取り入れるのは良いことですが、新しいことには負の側面があることを忘れてはいけません。

今の世の中、冷静さを欠いたまま新しいものを取り入れてしまうパターンが多く、危険な状態にあると言わざるを得ません。立ち止まって見つめ直す時期でしょう。一昔前の「時代遅れ」だと笑われるぐらいのやり方ぐらいがちょうど良かったのかも知れません。

これは、英語学習や英語発音習得にも当てはまることです。「昔のやり方ではできなかったが、最新のやり方ならすぐできる」ということはないのです。

KTはつおんでは、オンラインミーティングなどメリットが大きい技術は使うものの、全体的には、講座にしても運営にしても、やや古風なアナログ的なやり方で進めていきたいと考えています。